“メタバース学習塾”が生徒を刺激?アバターが高める積極性

“メタバース学習塾”が生徒を刺激?アバターが高める積極性
インターネット上の仮想空間、メタバース。アメリカの巨大IT企業が年間1兆円を超える規模で競って投資を行うなど、高い注目を集めています。
国内でもすでにビジネスや学会など、さまざまな場面で活用が始まっていますが、山梨県に拠点を置く学習塾では、授業での利用を本格化させています。そこでは、生徒の授業に対する姿勢に顕著な変化が見られているといいます。
一体何が行われているのか。実際にメタバース空間に入って、授業を体験してきました。(甲府放送局記者 香本響太)

“メタバース学習塾”を体験してみた

8月に開かれた中学3年生向けの特別講座。
教室に座っているのは、生徒の分身の「アバター」たちです。

花の髪飾りやイヤリングをつけてみたり、髪の色をグレーにして、ひげを生やしてみたりと、生徒たちは思い思いの格好で授業に臨んでいました。
私(記者)もアバターを作って授業に参加しました。
アバターは、性別や顔、髪型や服装、アクセサリーといった14ある項目を簡単に設定することができて、服装や髪の色を自由に変えることもできます。

私は現実の自分に似せようと仕事着のアバターを作りましたが、メタバースの授業に参加した生徒たちに聞いてみると「日常生活ではできない茶髪にしてみた」とか「性別を変えてみた」という声もあり、いつもと違う自分への変身を楽しんでいました。
特別講座の最初の授業は数学でした。
授業では、講師が実際に黒板を使って説明する姿が映し出されています。
立体図形の問題では、動画で図形を回転させながら説明したり、生徒にチャットで理解しているかどうかを確認したりしながら授業を進めていましたが、早速疑問がわいてきました。

「従来のオンライン授業と何が違うのだろう?」
「生徒が素顔を見せない授業や動画を活用する授業は、従来の技術でも可能なのではないか?」
メタバースならではの特徴や効果が、私にはまだ見えてきませんでした。

“メタバース授業”を提案した学習塾の長田正樹校長は、従来の授業には見られなかった生徒の変化について、次のように話しています。
長田校長
「集中力が全然違う。聞くと返事もするし、発言もするし、ふだんやっている授業とはだいぶ違う感覚を受けます。普通のオンライン授業だと生徒が受け身になりやすいと思いますが、メタバースの空間にいるとだんだん自分から能動的に動くように意識が変わっていく感覚が出てくるんじゃないか」

アバターで羞恥心の殻を破る生徒たち

特別講座は3日間の日程で行われ、私は初日から最終日までの全日程を取材しました。

初日の授業では、生徒たちはみなおとなしくて、質問することも少なく、生徒の変化をあまり感じなかったのですが、最終日の授業では、生徒が自主的に問題の解き方を説明する様子も見られました。

ただ、生徒がみな能動的になるのか、心の底からは納得できずに学習塾を歩き回っていると、授業後に設けられた50分の質問タイムで興味深い場面を目にしました。
授業内容について質問したい生徒は、みずからアバターを操作して、問題ごとに設けられた専用の部屋に行くのですが、部屋の前に生徒の列ができていたのです。
私が受験生だったころは、質問をするために講師の部屋の前に列ができている様子を見たことがなかったので、とても新鮮な光景でした。

質問の内容は「立体図形の高さをどうやって見つけたらいいのか」といった具体的ものから「この問題が分からない」といったざっくりとしたものまでさまざまでしたが、同じ部屋の中にいるだけで先生の話を聞くことができるため、複数の生徒が一緒に説明を聞いている時間帯もありました。

また、先生を独り占めすることにはならないからと、聞きたいことをとことん質問する生徒もいました。
長田校長
「ふだんは本当に熱心な生徒が1人質問するかどうかですが、メタバースではほとんど全員が質問にいく、それが当たり前という感じ。顔を出さないということで、それだけ自由に自分が動ける気持ちになるのかもしれません」
いつもは質問しないという生徒でも、アバターを通してなら「分からない」という恥ずかしさを気にせず、先生に声をかけられるといいます。
受講した男子生徒
「恥ずかしがり屋なので、知らない人の前で話すのは難しく、メタバースのほうがやりやすかった」
この男子生徒は、インタビューにはことば少なに答えていましたが、休み時間にはアバターで踊るなど、おちゃめな一面も見せてくれました。

また、クラスメートのアバターの動きを見ることができるので、従来のオンライン授業と違って、仲間と一緒に授業を受けている感覚があるといいます。
受講した女子生徒
「同級生の子のアバターもいて、わいわいできる感じがメタバースはいい。拍手したり、たまに踊ったりしている子もいて、教室にいる感じに近い」
女子生徒の母親
「自分でアバターを動かして見に行くなどの刺激があって、普通のオンライン授業より本人が積極的にやっていて飽きることなく楽しんでやっている感じがしました。ただ聞くとか見るとかではなく対面に近いような感じ」

生徒を刺激する“引き金”になりうる?

“メタバース学習塾”の可能性について、教育工学が専門で、ICTを活用した学習について詳しい、山梨大学教育学部の三井一希准教授に聞きました。
三井准教授
「対面の要素とオンラインの要素を併せ持っているところがおもしろい。自分の視点が入り込んでいて、アバターを操作するという意思を持って周囲との関わりを持ちやすくなる。新しい授業なので、勉強に向かわない子どもたちの動機を高めるという面で、学校での新たな授業の1つとして可能性を大いに秘めている。
メタバースが合う生徒とそうでない生徒がいると思うが、これによって救われる子も出てくると思う。例えば、面と向かってだとグループワークがなかなかできない子でも、アバターを介してできたら、その子はグループワークという経験を獲得できたことになる」
三井准教授は、こうした授業に期待する一方で、事例を積み重ねながら社会の理解を得るとともに、検証を進めていくことが必要だと話します。
三井准教授
「アバターを介したコミュニケーションに否定的な人や、健康面を心配する人もいると思うので、世の中の理解を得るには時間がかかるだろうし、いちばん大事な学習の定着や理解につながっているのかを慎重に検討していく必要がある。今後これが定着していくかが未知数だからこそ、前向きに捉えて実践を重ねていくことが必要だと思う」

“誰もが受けられる授業”には大きな課題が

メタバースを用いた新しい授業に確かな手応えを感じている学習塾ですが、授業を広げていくうえで大きな課題を感じています。
私も体験した特別講座が開かれる10日前、講座への参加者を募るため、全国の人が利用できるというメタバースのまち「GAIA TOWN」の中で、イベントを開きました。

中学生のeスポーツプレイヤーをゲストに迎えて全国の中学生に呼びかけ、授業の魅力をアピールしました。
県外からイベントに参加した生徒が授業に応募するなど一定の成果がありましたが、一方で課題が浮き彫りになりました。

応募した人のパソコンの性能が足りず、実際に参加できたのは、応募者の3分の1ほど。メタバースの世界に入れない人が続出したのです。
長田校長
「ゲームに参加している生徒だったらパソコンのスペックも高いだろうと思い、そういった生徒たちに働きかけるほうが手っとり早いと思いましたが、うまくいかず残念。あと4、5年たてばパソコンが入れ代わって、メタバースの空間にみんなが入れる状況になると思うのですが」
この学習塾では当面、申し込みの前に一度メタバースの空間に入ってもらう機会を設けることで、確実に利用できる人の参加を募ることにしています。

“メタバース”空間はボーダーレス 山梨から全国へ

ことしの秋からは、特別講座に加え、通常授業にもメタバースを導入することを検討していた学習塾でしたが、イベントを通してパソコンの性能の壁に直面したことで、実現の難しさを痛感しています。
ただ、取材を通じて印象的だったのは「課題を感じながらも、地域の塾が全国に打って出るきっかけになる」と話す講師たちの姿でした。
長田正樹 校長
「山梨県の生徒だけでやっているのではだめで、1人でも2人でも全国から参加してほしくて企画をした。通学しにくい子たちもいれば、夜、特に遅い時間帯は親が外に出したくない人もいるでしょうから、おそらく何年か先には、メタバースが当たり前の状況になっていくのではないか。そのときに自分たちもその空間で展開できる授業をつくっていきたい。やり始めてこれだけ手応えがあるので、時間がかかっても一歩一歩前へ、半歩でもいいから前へ進んでいければ」
アバターで取材を続けていた最終日には、体が画面の外にあるのに気持ちがメタバースの中に入り込んでいるような不思議な感覚になりました。
メタバースをめぐっては、兵庫県養父市が仮想空間の中に市内の様子を再現して魅力をPRしたり、島根県の飲食業や観光業の事業者が仮想空間に商店街を開設したりと、地方を全国に売り出す動きもあります。

山梨県発の“メタバース学習塾”が、新たな学びのスタイルとして広く定着していくのか。ビジネスモデルを変える可能性を秘めたメタバースから目が離せません。
甲府放送局 記者
香本響太
2017年入局 金沢放送局を経て現所属
学生時代は他の生徒が質問するのを待っているタイプでした